レキシントンの幽霊
本格的な村上春樹の小説(短編集だけど)の覚書は初めてじゃないだろうか?まあそれだけ『ねじまき鳥クロニクル』の後のスプートニクなどが耐えられなかった[1]ということだろう。
この本を読む気になったのは、村上作品を読まなくなってしまう前の短編集だったから、というのがある。あのひどい内容[2]を読まされることはないだろうと思ったのだ。
こうして久しぶりに村上作品を読んでみると、自分でも意外なことに、作品の荒削りさが目についた。荒削りというか、もっとはっきり言ってしまうと技量不足が見えるのだ。文章が助長すぎたり、展開が平凡すぎたりする。
話は不思議ワールド方向へ行っているので、その点はもちろん平凡ではないのだけれど、そのことではなく、要するに村上らしい展開すぎて何の新しさも面白みもないということ。
そんな風に感じたことに、我ながら驚いた。なぜなら(説明するまでもないが)、自分は今まで村上フリークとでも呼べそうなくらい彼の文章を信奉していて、欠点を見つけることなどできなかったからだ。
だから意外と村上も駄作(とまでは言い過ぎか)を書いているんだな、なんて思った。
もちろんそれは当たり前のことで、どんな作家も傑作ばかり書いているわけではない。フィッツジェラルドだってそうだし、無数の凡作があるから一つの傑作が生まれると言えるだろう。
こんな風にある意味冷静に見られるのも、歳月を経るの間に他の作家の様々な文章に触れたおかげなのだろうと思う。
作品を紐解いてみると――
特に助長だなと感じさせられたのが、「レキシントンの幽霊」。描写がうまいと言いたいところだけど、余計な部分が多かったように思う。
それから最初より長くなったという「トニー滝谷」も。短い方を読んでいないけれど、そのままの方がよかったんじゃないだろうか?
それまでの村上らしさが一番出ていた気がするのは「めくらやなぎと、眠る女」。これは『ノルウェイの森』に吸収されてしまっているので、ノルウェイの森を読んでしまうと、ダシに使われて味のなくなった出がらしの鶏肉のみたいに感じてしまう。ノルウェイの森を読んでいなければそれなりに読める作品だと思うけれど。
この短編集で一番よかったと思うのは「七番目の男」だ。
嵐の描写がやはり助長に感じるけど――それは実際に「長い」というだけではなく、退屈に感じさせるということ――「波がさらってしまった大事なものと取り返しのつかない年月」というのが、単なる比喩でないことが明らかになっていく中に物語に引きつけられるものがある。
ところでこの「波」というのは一体何なのだろうか。『ねじまき鳥クロニクル』の後で書かれた作品らしいから、そこで描ききれなかった綿谷ノボルに代表される何かの片鱗なのだろうか?
そんなことを考えさせる余地があることからも、この作品がこの中ではできがいいといえる気がする。
次はそろそろ主人公が谷崎訳の源氏を読んでいるという『海辺のカフカ』を開いてみようか。
『レキシントンの幽霊』
緑色の獣 41
沈黙 53
氷男 95
トニー滝谷 121
七番目の男 161
めくらやなぎと、眠る女 197
notes
[1] 『スプートニクの恋人』を読んでガックリきてしまって、その後の村上作品を読んでいない。こうしてみると、よほどガックリきたんだな、当時。ここまでストリクトに評価してしまっていると、今読んでもそう思うのか、検証したほうがいいのかもしれないという気がしてくる。
[2] これはスプートニクのことを言っている。本当にひどい評価だ。