読書百冊意自通ズ覚書

読んだあと、何かしらの余韻を残していく物語たちを、みんなどんな風に読んでいるのだろう?The note of reading one hundred books makes you understand more clearly.

百年の孤独

大天使ガブリエルの名を持つ、ラテン・アメリカ文学界において最も偉大な作家の一人、ガブリエル・ガリシアマルケスの作品の中で、最も有名にして大長編、「空前のベストセラー」[1]であり、1982年にノーベル文学賞受賞に至る作品となったのがこの『百年の孤独』である。

百年の孤独

百年の孤独

 

 訳者鼓直氏が「あとがき」で言っているように、「ガルシア=マルケスの世界を語るためには、ぜひこの『百年の孤独』がよまれなければならない」(p.433)作品であり、自分もまた読み終えて深くそう思う。

 冒頭が、アウレリャノ・ブエンディア大佐が「銃殺隊の前に立つはめになったとき」(p.5)から始まっているので、その後がウルスラ・イグアランとその夫、ホセ・アルアディオ・ブエンディアのストーリーだと理解するまでに時間がかかった。

 そして、こんな驚きは実に素人的なのだろうけれど、あのマコンドという村が、このホセ・アルアディオ・ブエンディアによって拓かれた――それも多くの苦難の上に――事に、正直びっくりしてしまった。

 だいたい、マコンドがこんな辺境な地にあるなんて思っていなかったし(田舎だろうとは思っていたが)、何となく元々人が住み着いていて自然と村になったと勝手に思っていたのだ。そのマコンドの開拓、そして開拓した一族が描かれているわけで、この『百年の孤独』はガルシア=マルケスを知るにあたって、重要な作品だと言えるだろう。[2]

 

 大変だったのは、名前を覚える事と、人物像を覚える事だ。似たような名前がすごく多くて、すぐ混乱してしまうし、1人1人書かれているエピソードのうち、一体どれが誰のものだったかすぐわからなくなってしまうのだ。[3]

 全体を通してはウルスラを中心に据えて、前半から後半始めにかけてをアウレリャノ・ブエンディア大佐に、大佐が出てこなかったり、死んでしまってからはアウレリャノ・セグンドに寄りかかって読み進めていった。

 それでも、ラテン・アメリカ人の名前が耳慣れないのと、同じような名前があまりにも多いせいで、ごっちゃになる事もしばしばだった。

 物語の最後の方で、やっと誰が誰なのかという事と、物語の流れがどこから流れてきて、どういう方向へ向かって行こ うとしているのか、やっとわかってきたので――結論だけ先に(しかもたくさん)書かれる事が多いので、すっかり混乱してしまうのだ――もう一度読めば、きっともっと理解できると思う。一度で理解するには、あまりにも壮大すぎるのだ。

 

 ホセ・アルアディオ・ブエンディアが体重を自由にあやつることができたので、むちゃくちゃ重くして何人かがかりでないと動かせなかったとか、アマランタが アウレリャノ・ブエンディア大佐の17人の子供を教会へ連れてゆき、アントニオ・イザベル神父が額に灰で十字のしるしを描くと、大佐の子供17人だけその灰十字が消えなかった(p.232)etc. etc.……こういったエピソードがそこかしこに散らばっている。

 超自然的な出来事をあたり前の出来事として書いている。それはまさにガルシア=マルケス的世界であり、物語的世界である。

 本書を、半ば幻想世界に引きずり込まれながら読み終えた。

 ただでさえ長く、複雑かつ、今まで読んできた、既知の作品にはない要素のつまった、覚書するのが難しい作品で、読み終えた直後から、一体何を覚書すればいいのか正直わからなかった。
 『百年の孤独』はすごく壮大だった。壮大すぎる。あまりにも色々な事が書かれ過ぎていて、私は何がなんだかわからなくなってしまったのだ。


 それでも、この孤独を抱えながら生きていくブエンディア家の人々、マコンドの住人、その歴史に、物語を読むよろこびを感じるさせられる。

 最後に。
 物語の途中からずっと思っていたのだけれど。
 ウルスラは、一体いくつまで生き続けたんだ?

 

Original: "Cien Anos de Soledad", 1967

 

notes

[1] 裏表紙内側の折り部分、作者の紹介文より。
[2] 今まで読んできた2冊(『ママ・グランデの葬儀』と『十二の遍歴の物語』)では本書を未読だったため、マコンドについて知らなかった事を思うと、一層強くそう思われる。

[3] それでも、はじめからよくわかったウルスラを始め、ホセ・アルアディオ・アウレリャノ・ブエンディア大佐(大佐は“大佐 ”がつくから比較的わかり易い)、レメディオス・アマランタ、ピラル・テルネラ、サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダ……くらいはわかった。長く登場する人 はわりにわかる。時代が下がるとダメだ。
[4] 覚書『十二の遍歴の物語』にて。

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