読書百冊意自通ズ覚書

読んだあと、何かしらの余韻を残していく物語たちを、みんなどんな風に読んでいるのだろう?The note of reading one hundred books makes you understand more clearly.

“神がかり”的な ― THE DARK KNIGHT

 凱旋上映と銘打たれたダークナイトの再上映に行って来た。

 よく考えたら、一人で映画を観に行ったのは初めてだ。映画がそれほど好きじゃないのだから、当然と言えば当然か。

 

 衝撃的な死を遂げたヒース・レジャーの遺作となったダークナイト

 ちょっと期待し過ぎたかもしれない、というのが端的な感想で、期待というのに語弊があるなら、先入観なしに見られなかったというところだ。

 バットマンが自分のレーゾン・デートルに疑問を抱く中に、揺さぶりをかける如くに現れるトリックスター“ジョーカー”。そして、決して表舞台に立てない闇の存在である己の愛する女性レイチェルは、対象的な“光の騎士”であるゴッサム・シティのやり手検事、ハービー・デントと付き合っている。

 正義の面でも愛の面でも、闇は光にその場を譲るべきなのでは、と苦悩するバットマンを嘲笑うかのように、ジョーカーは次から次へと事件を起こして事態を引っかき回し、バットマンにマスクを捨てろと要求する。

 果たしてバットマンの決断は? 闇は光に消えるのか?

 

 というストーリーなんだけれど、とにかく脚本がよくない、と思う。

 初めてバットマンを見たので、まったく予備知識がないし、実際これは続編にあたるらしいので、背景は種々あるのかもしれないけれど、そういったことは無視!で言うと、そもそもテーマがはっきり一つに絞り切れていないのだ。

 闇VS光、正義VS悪、公VS私、多数VS少数……

 対極にある二つの対立という構図はわかるけど、お陰でどれもこれも非常に中途半端にしか描けていない。中途半端にしか描かれていないので、どれもこれもさらっと片付いた感が拭えない。愛するレイチェルを亡くしたことさえ淡々と終わり、高潔なる検事デントがトゥー・フェイスへと豹変する様も安易に見えるのだ。

 

 バットマンというキャラクターが主人公という時点で、どんなに彼が今回“闇”であろうと描ける世界には限りがあるのだから、もっと焦点を絞るべきだったろう。

 例えば、正義(バットマン)VS悪(ジョーカー)という点に徹底し、正義のカテゴリ中で、光を目の当たりにしたバットマンが己の抱える闇に悩む、とかにすればよかったのではないかと思う。(うーん、でももしかしてそういう描き方になっているのかなぁ)

 そうはいってもバットマンの世界観とか過去の作品とか色々あるんだろうと思うと、これがアメコミ原作の限界か……という感じは否めない。

 そういった意味で、ダークナイトがオスカーの作品候補に選ばれなかったというのは妥当だと思う。

 

 それから、“闇の正義”みたいなものを、こういった形で描くのはいかにもアメリカっぽいなと思った。 日本映画だったら逆に描くのではないだろうか?という気がする。つまり、いつもは闇(この場合≠光でない意)なのに、裡に秘めたる本性は……もしくは実は光であった、というように。昼暗燈というけれど、そんな形で“闇騎士”を描くだろうなぁと思った。

 

 そういうストーリーの中で、一際異彩を放っていたのがトリックスターのジョーカーだ。

 

 そもそも彼の演技が素晴らしいというふれ込みで足を運んでいるわけで、最初に言ったように先入観を否定できないのだけれど、手段そのものが目的という、しばしば物語に登場する狂人犯罪者を、見事に演じている。

 この手の役どころは、言ってみればスピードのハワード・ペイン、羊たちの沈黙レクター博士なんかと共通するタイプだと思うのだが、今回ヒース・レジャーはジョーカーという登場人物のイメージを、キャラクターから上手に生み出したといえるだろう。感じとしては、ジョニー・デップジャック・スパロウを生み出したのに似ている気がする。

 

 脚本自体のジョーカーの描き方もよかった(と思う)のに加え、役者の演技で相乗効果。作中最も完成されたジョーカーに圧倒されて、ますます主人公のバットマンや、対象人物のハービー・デントは霞んでしまう。

 実は超セレブなバットマンとか(しかし、こんな設定ってありか?漫画だからか?それと、バットマンって超人じゃないの?超ハイテクで武装した軍人みたいでビックリした)、やり手のイケメン検事とかより、このイカレた口裂けピエロの方が、正直よっぽど現実感があった。

 

 こうなってしまうと、バットマンVSジョーカーにもっと的を絞った方がよかったとしか言いようがない。そして、単なる恐怖としてだけでないジョーカーにもっとフォーカスしたのなら、どれほど面白くなったことだろう。それを暗示する大きすぎる片鱗は、そこかしこに散らばっていたというのに。

 しかし、これがヒース・レジャー最後の演技となってしまったのか……と思うと、見ている間も感慨深いものがあった。

 

 バットマンの信念という設定もさることながら、結局、作中では皮肉なことにジョーカーは死なない。

 けれどももう見られないこのジョーカーは、最後に咲き乱れた、一種神がかり的ゆえの最後の名演だったのかもしれない。