大いなる遺産/上下
最も有名なディケンズの作品といえば『クリスマス・キャロル』であり、それ以外の作品で初めて読むのがこの『大いなる遺産』となった。
上巻の始め、主人公ピップが幼い頃、脱獄した囚人に脅されて、やすりとポーク・パイを届け、その後「囚人狩りの見物」に、姉の夫のジョーと一緒に出かけ、自分の罪が知られやしないか、否、ジョーには正直に打ち明けるべきか――と不安に逡巡している場面は、なかなか面白かった。
しかしその後、ミス・ハヴィシャムと出会い、彼女から(であろう)莫大なる遺産を受け取る事になり、 紳士の教育を受けるためにロンドンに出て――というような話の流れは淡々と描かれており、特にドラマチックな展開はない。
ピップのような一鍛冶屋の青年が、「大いなる遺産相続の見込み」を与えられるような事は、ピップにとっては一大事件だが、読者にとってはタイトルから推してみても、特に驚くべき展開 ではないのだ。
鍛冶屋の仕事をし、ミス・ハヴィシャムのところで垣間見た、上流の生活や美しい少女エステラへの純粋な憧れ、このまま鍛冶場で一生を終わらせたくないと思いながらも、一生鍛冶屋でいるしかない現実との葛藤は、非常によく描かれている。
そんなピップに、にわかに大遺産が転がり込み、さしあたっては弁護士のジャガーズを通して決まった金額――それでもピップにすれば、相当な額――を渡されるようになると、たちまちピップは湯水の如くお金を使い始める。
賢くはないけれど、素朴で優しいジョーを心の中で恥ずかしく思っているピップは、ジョーや村人と疎遠になる。
ここでもまた、延々とピップのロンドンでの放蕩生活が描かれていて、それと言ったら、自分のように教養のない人間なんかからすると、その部分を楽しむとか、読み応えを感じるとかは全くなくて、その うちにただひたすら浪費生活を送るピップを、相当な馬鹿者と思い始め、徐々にあきあきしてしまう程なのだ。
そうして、「遺産相続の見込み」なんてあての ない空手形みたいな話がうまくいくとは思えないとか、どんなにピップ君がエステラ嬢を想ってもうまく行きっこないだろう――話の流れとして――とか、いつになったらジョーの素晴らしさやあたたかさに気づくんだ、ピップは!というような、そぞろな感心事に気をとられて、全く頭が働かなくなるくらい長いピップの都会生活は、突然終止符を迎える。それはあまりにも突然すぎて、半分閉じかけた目を、思わず見開いてしまうのだ。
ピップの前に何の予告もなく、彼の本当の後見人――マグウィッチ――が現れると、物語は急展開を始める。
ピップの後見人がミス・ハヴィシャムではなかったことのこの驚き!
マグウィッチは二度とロンドンに戻れぬ追放された罪人であり、「つかまったが最後、どうしたって縛り首」に処される身というから、危機感に拍車がかかる。
あまりにも長いピップの放蕩生活の描写のせいで、読者(わたしたち)は皆、ピップの後見人はミス・ハヴィシャムで、恋の相手はエステラで――と知らず思い込んでしまうのだ。
ピップが無事マグウィッチを逃がしてやろうと画策してゆく中で、エステラはベントリー・ドラムルと結婚し、ミス・ハヴィシャムは過去の秘密をさらけ出し、エステラの母の謎も解け、前半に溜まり込んでいたそれぞれの物語の扉を、あたかもピップがひとつひとつ開け放つように、物語は怒涛のように展開してゆく。
それはあまりにも力強く、圧倒的で、ぐいぐい惹きつけられ、先へ先へと読み進めていくしかないといった具合で、物語は後半がぜん面白くなってくるのだ。
私はほとんど興奮気味に物語を読み終えた。 物語は本当に面白かった。
ディケンズはドストエフスキーも好きだったと聞くが、このスリルと面白さはドストエフスキーに通じると思い、またこれぞ小説を読む醍醐味といえる面白さだったと思う。
ピップは最後の最後に、親友ハーバートの事を考えながら言う。
「いったいどうして昔彼を無能な人間だなんて考えたのだろうと、なんどもふしぎに思った。が、ある日、たぶんその無能さは彼のうちにあったのではなく、わたしのうちにあったのだと反省してみて、いっさいが氷解した。(p.389)」
それはこの物語で、おそらくディケンズがピップを通して、最も表したかったメッセージのひとつではないかと思う。
ピップは――私たちは――そのことに気がつくために、ジョーの優しさを退け、ビディの知恵を袖にし、都会に住み、遺産を相続し、そしてその全てを失ってみなければならないのだ。
いつだって私たちにとって本当に大切で、心温めてくれるものは、ジョーの優しさとビディの思いやりと知恵なのだ。
そしてそれは常に変わらず、私たちの足元で、小さな花のようにひっそりと咲いているのである。
Original: "GREAT EXPECTATIONS", 1861