ユダヤ人は有史以来 パレスチナ紛争の根源/上下
ユダヤ人について知りたいのでなにかありませんか、と恩師に尋ねたところ、薦められたのが本書と、ルイス・ワース著の "The Ghetto" であった。動機は忘れてしまったが、まとめて読んで知識を身につけようと思ったことは覚えている。
そもそも学校教育の現場で、中東についてはほとんど教えないーーイスラエルには聖地エルサレムがあるとか、アラブ人は大半がイスラム教徒で、イスラム教とはアッラーを唯一神とし、聖地はメッカにあり、巨大なモスクを建て、ラマダンと呼ばれる断食をすることなどくらいしかーーので、基礎知識というものが全くなかった。
だから、読み始めはすでに既知の事実として語られて説明のない言葉、出来事、ほんの少ししか解説のない事柄の多さに、理解するのが大変難しかった。
本書自体が専門的な内容(資料など)を多分に含んでおり、もともと難しいものであったはずなので、それに基礎知識のない人間が取り組むのだから、結果は言わずもがな、である。
それでも、著者が何度も同じ主張を繰り返して書いてくれたおかげでーーそれは主張の信憑性を高めるために引用した資料が同じような内容だったせいもあるし、同じような内容の資料がたくさんあることが彼女の主張の裏づけになるからであるがーー徐々に書かれている内容や状況が理解 できるようになってきた。
そんな状態なので、本当の意味でどれだけこの本を理解できたのか、実にアヤシイものである。しかしこの覚書の本旨に則って、できる限り率直な感想を書くことにする。
最初の「1. ユダヤ人への誘いーーアラブからの帰国招請」は、冒頭部分に、著者が本書を書くに至るまでに経緯の発端と、アラブのプロパガンダの始まりを書きたかったのだろうと思われるが、後述することと時間軸が逆転しているので、なかなか理解に苦しんだ。(知識不足によるのだが)
ユダヤ人の迫害の歴史が浮き彫りにされ、アウシュヴィッツに代表されるユダヤ人に起こった悲劇には心が痛んだ。しかしそれ以前に、もっとずっと悲惨で、陰惨で、残酷なポグロムと呼ばれる殺戮や略奪などが、長い間当たり前のように、そして寄せては返す波のように、何度も行われてきたという記述に、戦慄を覚えた。
本書でピーターズ女史は、パレスチナが、いかに多くのイスラム教徒の不法入植者によって占拠されているか、あらゆる資料によって立証している。ユダヤ人が同胞を受け入れるために開拓した土地(パレスチナ)に、イギリス政府(委託統地)によって制限がなされ、多くのユダヤ人が入植できなかったことなども詳しく書かれてる。
本書によれば、WWIIで西(ドイツなど)からボロ船に乗って命からがらで逃げてきた人々は、海の上で無情に追い返され、何百万という人がアウシュヴィッツへ送られた。その間、アラブ人たちは我が物顔で続々と不法にパレスチナに入植し続けていたという。
ピーターズ女史によると、預言者マホメットはイスラム教を広め、ユダヤ教徒もイスラム教に改宗させるため、ユダヤ教の慣習を取り入れた[1]が、ユダヤ教徒は改宗しなかった。マホメットはそのことを恨み、コーランには「ユダヤ人に対する敵意や非難」「ユダヤ人に対する激しい攻撃が多く書かれている」(P. 56)という。
本書では、ユダヤ人に対する長年、そして多数に渡るポグロム、その実態やアラブのプロパガンダについて、歴史の中で揉み消されてしまった数々の小さな資料――著者によれば、それらは史実である――を積み上げて立証し、証明されている。これには、単に“パレスチナ人”と“イスラエル”の対立だけではない、このパレスチナ問題の抱える難しさを強く感じさせられた。
パレスチナ問題は、非常に複雑かつ難解である。事実は一つだったとしても、立場が違えば受け取り方も変わる。
ゆえに、ユダヤ人側に立ったピーターズ女史の主張が、全面的・絶対的に正しいとは言えないだろう。ここに記載されている事実が全てとは言い切れないし、世の中には様々な解釈や見解があるのだ。
その証拠に、「パレスチナ人とユダヤ人はイスラエルが建国されるまでは仲良く暮らしていた」とか、「ユダヤ人が2000年も前に住んでいたと言ってイスラエルに戻って、パレスチナ人を追い出した(パレスチナ人難民)」という解釈も多く、本書に書かれていることとは驚くほど相違がある。
何が正しくて何が間違っているのか。
見極めるのも大切なことだと思うが、それ以上に、様々な意見を知り、柔軟な思考で問題の収束に向けていくことが、もっとも求められることではないか、と感じさせられた。
From Time Immemorial
The Origins the Arab-Jewish Conflict Over Palestine
by Joan Peters, 1984
notes
[1] 「エルサレムに向かって礼拝したり、ヨムキプール(贖罪日)の断食など」(上 P. 56)