ソフィーの世界~哲学者からの不思議な手紙/上
哲学の本というのは初めて読んだ。この本、当時バカ売れしたベスト・セラー本だが、それにしては難しい気がする。まぁ、哲学の本なんだからある程度難しいのは当たり前か。
色々な哲学者の色々な、そして微妙に違う主張が続くので、途中でわけがわからなくなり、オマケに時代考証もわからなくなってきたので、鉛筆で線を引き、インデックスをつけてしまった。メモもした。付ける過程で、簡単に読み返したりもしたし、時代ごとの分類もしたので、だいぶ整理された。
と、夢中になるくらい、すごく面白かった。
- 作者: ヨースタインゴルデル,須田朗,Jostein Gaarder,池田香代子
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 1997/10
- メディア: 単行本
- 購入: 6人 クリック: 77回
- この商品を含むブログ (16件) を見る
この本を読んで、今までおぼろげだったことや、時代について、とてもよくわかることが多かった。
例えば、ソクラテス、プラトン、アリストテレス。この辺の人たちはもちろん名前は知っているけど、前後関係とか、正確な時代、そして哲学思想はよくわかっていなかった。なぜなら歴史の授業でちょっとしかやらないから。
基本に、学校の授業で学んだから覚えている、というのがほぼ全域に渡る知識なのである。殊に歴史や政治・経済など文系はほとんどそうで、逆をいえば、学校でやらないことは何もわからないに等しく、そして哲学(倫理学、宗教学とか)の授業はなかった!
個々の時代を見ていくと――
ギリシア哲学では、なんとなくソクラテス、プラトン、アリストテレスの外見が想像できるようになった。フフ。これは理解において非常に有益といえよう。
ソクラテスは記述の通り、チビで、デブで、目つきが悪くて――三白眼のやぶ睨み――背が低くて栗色のどーしようもないもしゃもしゃくせ毛を無造作にしていて、古代ギリシア人が着ていたであろう麻っぽい布[1]を纏った姿。(しかしこの時代の人はどんな服を着ていたんだろ??)あたかも肉丸太が布を纏っているような……
プラトンは「すてきな若者」(p.105参)と書いてあるので、なかなかスマートな男の子。色素がちょっと薄くて、目が大きく黒目がち(瞳の色は何色かな?)で、中肉中背…『ふんわり狩人』に出てくるエオン・エキス[2]風。
最後にアリストテレス。この人はアレクサンドロス大王の家庭教師をしていたことから、なんか大王とイメージがごっちゃになっている。学者というよりはもっと活達なイメージ。髪は長めのブラウンで、背が高く、体格もよくて、考え出すと何もしゃべらず、黙々としていて、赤い服をよく着ており、しゃべり方は言い切り型で、とても理論的かつ、非常に自分をしっかり持った人、というイメージ。完全に偉大なるアレクサンドロス大王のイメージが混ざっている。大王がどんな人だったか知らんが、「王」の持つ風格がアリステレスにもあった気がする。威厳のありそうな人だ。
と、こんなイメージをさせてくれるのが、この本のいいところの一つかと思う。
インド-ヨーロッパでは、語源的にヨーロッパが「インド-ヨーロッパ」に分けられると知り、正直驚いた。しかし、その分類の特徴として「多神教」ということをあげていることに、なるほどと思う。そう、ギリシア神話にはオリンポスの神々がいる。
このインド-ヨーロッパには「サンスクリット」が共通ベースであるということだが、これはちょっと意外だった。
サンスクリット=梵字=インド&仏教(リグ・ヴェーダとか)と思っていたので、サンスクリットはアジアオンリーのものだと漠然と捉えていた。
でも語源の例を見て(p.196参)、そうではないことがよくわかる。
セム語族のところでは「エルサレム」というものがほんの少しわかってきた気がした。
アブラハム、モーゼ、ダヴィデ、ソロモン、バビロンの捕囚、イエス……このあたりの認識はかなりごっちゃになっていて、ここで少し整理された。「バビロンの捕囚」なんかは歴史の授業で習うものの、そもそもユダヤ人についての知識がないので、??だったのだ。
ざっくり言って、現在は、「ヨーロッパ=キリスト教」と言えるだろう。ところが、ヨーロッパの文化は、辿ると古代ギリシア・ローマにあると学校では教えられる。思想的にこの時代に民主主義が興っていて、アテナイは文化・時代の中心だった。そしてこの頃、イギリスとかフランスなんて超ド田舎だった。中世の頃ですら、ギリシア・ローマから見れば、全然田舎だった。イギリスが、である。アメリカではなく。
そのヨーロッパ=ギリシアはそもそも多神教で、しかし現代はヨーロッパ=キリスト教(一神教)、つまり
・イエスが出現する前はギリシア神話の世界で、紀元後から徐々にキリスト教になって多神教→一神教になった
・ユダヤ教~→キリスト教
という認識でいて、それ以上でもそれ以下でもなかった。
大まかな流れの中で、これらは最終的に一緒になった、ユダヤはヨーロッパの中の一つの人種だ、となんとなく捉えており、その中で、小さい種族としてヨーロッパのそれまでの思想(=多神教)と違う神サマを持っていたのカナと思っていたわけである。
でも要するに、
ユダヤ(セム)とヨーロッパ(インド=ヨーロッパ)はそもそも異なる文化を起源としていたわけだ。これには深く納得。
イスラエルがイスラム教の聖地であることも、イスラム教とユダヤ教、キリスト教がなぜ同じ母体、そして聖地を持っているのかも、単に「同じ」だったのだ、としか認識していなかったけれど、だって語族が同じなのだ、逆に言えば同じであって当たり前なのである。
このセムというのには本当に目からウロコだ。なんせ、ユダヤ人はヨーロッパ人と同じだと思っていたのだ。つまり
ヨーロッパ
|
この図式の認識だった。後世になっても「ユダヤ人」は何かと色々あるが、それは殊に目立つ人が多いとか、たまたま特定されたせいで、迫害されたりするのだと思っていたのだ。なんの知識もなく。
でも違うのだ。何が違うって、そもろん人種が違うのである。
<異文化>
|
|
なんだな!それが、様々な問題の大きな理由の一つであると言えるのではないか、ここへ来てようやく思い至る。
このユダヤの人々の神に対する思想を、宗教を、本書は実によく教えてくれた。
ちなみに、「ハム・セム語」とアンリが『銀のマドモアゼル』[3]で言っていたセムってこのことか!と理解。勝手にどっかアフリカかなんかの語族だと思っていた。しかしまだ「ハム」がなんなのかわからん。
中世も興味深かった。中世は歴史の授業でやるので、多少なりとも予備知識があるのでより面白く感じられたのかもしれない。しかし千年も続いていると言われれて、改めて驚く。
ローマ-カトリックは、歴史の授業による知識もあるし、ここに来るまでに前述ですでにローマの状況がよくわかっているので、東ローマができる過程がすんなり理解できた。学生当時、西ローマと東ローマについて覚えるのが大変だったことを覚えている。
西ローマは476年に滅びるが、東ローマはそれから千年近く残る。しかし、西ローマが滅びると、授業は西洋史中心に進むので、そのまま教会教皇権期に入り、ずーっとその辺をやるのに、中世も終わりごろの1435年になって、忘れていた東ローマ帝国滅亡が突然出てくる。すでに西ローマなんてものは存在しないわけで、ごちゃごちゃになるのも道理だろう。その辺がよくわかる。
そして教皇から権力は移り絶対王政の時代がやってきて、産業革命、市民革命……流れとつながりが見えてきた。
ルネサンス時代の並行するキー・ポイントは
・宗教改革―マルティン・ルター、免罪符廃止、聖書普及、プロテスタント
・大航海時代―コンパス、火薬、印刷技術
と認識されているのだが、どうやら貨幣経済、信用経済の時代に入るのもこの頃らしい。そうかァなるほど、と膝を打ちたくなる気分になった。
と、いうのも、学校で上記のキー・ポイントの内容は世界史で、貨幣経済については政経で学ぶので、完全に別々のものとして学習していたからである。自分でつなげたり、時代の出来事としてトータルでとらえるほどの理解も知識もなかったので、わからなかった。この辺りの事は同時代に起こっていたのだな、ふぅむ、ナルホド。
コペルニクスなどにも、同じ様なことがいえる。
コペルニクス、ガリレイ、ニュートンについてはもちろん知っているけど、この人たちについて詳しくやるのは理科の授業なので、いまいち歴史の中での位置が捉えにくい。この人たちも「16世紀~17世紀の人だったのかァ」と改めて気づいた。自分の脳味噌だけでつなげて考えられないのだ……。
しかし、地動説など、その当時の人の考え方や信仰を覆す説が出てくるわけで、それって当時としては言ってみれば神への挑戦というか、学問だけの問題ではなかったはず。思想が如何にあるかで、どう考えるかが大きく左右されると思うと、物理学にしろ天文学にしろ、そこだけ切り取って考えるのでは、本当のところがわからないよなと改めて感じる。だって新しい説を生み出すのも、新しい法則を発見するのも「人」なのだから。
バロック――「いびつな真珠」(p.289)という意味の時代も、「バロック音楽」の時代があるのはもちろん知ってたけれど、1600年代、16世紀から17世紀という認識はほぼなかった。無知極まりないな。
本文中に「わたしは考える、だから私は存在する」(p.303)とあって、それって「我思う、故に我あり」とイコールだと気づいて、これか、と思い同時に訳の妙だなと感じた。しかし、その理論はイマイチ(どころか全然)??だ。
この本を読んでいて強く感じさせられたのは、学校で哲学(思想)に関係している事を、バラバラの科目で習っているので、話が全くつながってこないんだな、ということ。そしてどうして哲学を授業でやらないんだろう?ということと、哲学を学ぶべきだ!ということ。
だってよく考えてみれば、歴史上の多くの出来事は人間によってもたらされ(自然がもたらすものもあるけれど)、その人間というのはその人の考え・思想だったり、時代の――地域の風習や思想で動いているのだから、その時代の人々がどんな考えをもっていたのか?どんな哲学を持っていたか――で歴史は動く。
つまり、そのところをやって、初めて××世紀に△△が発明された、ということが理解できるんじゃないのだろうか。何事も起こる地盤・基盤というのがあるわけで、それがわからずして建ち上がったものだけ見ても、なかなかその構造の全体を把握することはできないと思う。
ちなみに、作者はギリシア哲学に頁裂きすぎ。というか、古代哲学が専門の人なのか?ルネサンス、バロックの短さと比べると、かなり長い。まァ、ギリシア哲学は基礎だからということかもしれないけれど……それにてしも、デカルト?短すぎる。この説明だけじゃわからん!とてもソフィーのようにはいかないぜ。
次回、下巻で一番興味があるのは、マルクスだ。
マルクスっちゅーのはもーどこでもかしこでも、小説だろうが丸谷の対談だろうがとにかく「マルクス主義」っちゅーのが出てくるというのに、「資本論」のさわりを授業でやった程度の知識しかないのだ。
あーとにかくわからないことだらけ。
で、あることがよ~くわかりました。
Original: "SOFIES V ERDEN Roman om filosofiens hitroie", 1991
notes
[1] 貫頭衣?本書には「ソクラテスはとんでもなくみっともない男」で「チビで、デブで、目つきが陰険で、鼻は空を向いていた」と書かれている。(p.90参)
[2] 名香智子の漫画。そういえばこのエオン・エキスはギリシア人だった気がする。ちなみに公爵シリーズ『貴婦人は頷かない』で、アテネーの父親ではないかと疑われたのもエオン・エキス。このエオン・エキスは黒髪。名香智子もスター・システムを採っているのだろうか。少なくともアンリに関してはそうかもしれない。
[3] これも名香智子の漫画。