読書百冊意自通ズ覚書

読んだあと、何かしらの余韻を残していく物語たちを、みんなどんな風に読んでいるのだろう?The note of reading one hundred books makes you understand more clearly.

翻訳夜話2 サリンジャー戦記

タイトルの通り、本書は2003年4月に出版された村上訳のサリンジャー著『キャッチャー・イン・ザ・ライ』について語られていて、『キャッチャー』とサリンジャー以外の事については一切書かれていない。

『キャッチャー』出版の直前に「泣く泣く巻末から外すことになった」「幻の訳者解説」も収められた本書は、さしずめ『キャッ チャー読本』と言えよう。

 

『キャッチャー』の翻訳を手がける中で、村上が感じ、考えた事を、ほとんどあますところなく語っているのではないかという印象だ。

 本書まるまる一冊分かかる程、村上の中にはサリンジャーと彼の書いた『キャッチャー』について考える事があったのだろう、全体を通して冷静ではありながも――村上春樹という作家はわりと常に理性的だと思う――情熱を持って語っている。

 

 話し相手(というより聞き手)の柴田元幸氏もあとがきで「あえていつもとの違いを言うなら、 「僕はこの本をこう訳したい」という核のようなものが、いつもよりはっきり、村上さんのなかにあるような気がした。その核について、存分に語っているの が、この本だ(中略)僕(柴田)も(中略)少しはしゃべっているが、基本的には、熱のこもった語りに聴き惚れていたにすぎない。」(p.246)と書いている。

 柴田氏はまことに最高の聴き手だったに違いなく、『キャッチャー』について語る時にこのような人がいた事は、村上にとって幸せな事だったと言えるだろう。

 そして、このように語り尽くしたい、という衝動を引き起こさせる翻訳作業は、まさに村上にとって“戦記”と言うに相応しいものだったに違いない。

翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書)

翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書)

 

 本書のなかで村上は

「世間の多くの読者は、読んだ本が心の中に意味もなくしっかり残っちゃったりすると、不安でしょうがない」(p.34)

と言っており、それはもちろん村上のなかにもこの『キャッチャー』が「しっかり残っちゃっ」いて、彼は翻訳という作業を通し、その核に迫ったのだろう。

 それを語ったものが本書であり、柴田氏の言う「核」なのだろう。

 

 自分がなぜこのように覚書をするのか?6年も続けている中に、ここにひとつの回答を得た気がした。「意味もなくしっかり残っちゃったりする」本について 「不安でしょうがなく」て、何かを見出だそうと、あるいは不安を解消しようとこうして文章を書いているのだ。

 

 そして、そういう分野については、村上は最高にうまい人の一人だと思う。そこらの文芸評論家では太刀打ちできないほど、彼は研究熱心で、分析も鋭く、論理も明晰で、優秀だ。正直、作家としてより翻訳家・文芸評論家としての方が能力は高いと思われる。

 そんな村上が「存分に語っている」本書は読み応えもあって、本当に面白い。ただし、もちろん村上訳の『キャッチャー』を読んでから読むべき本だ。(じゃないとわからないから)

 

『キャッチャー』について自分が読んだ読み方と、訳者の視点からとを色々比較しながら読むと、存分に楽しめると思う。

 あれこれ内容について言うに はあまりにも色々ありすぎるし、それは『キャッチャー』と『サリンジャー戦記』を読んだ人が個々に行えばそれで良い事だと思うので、いちいちここで書き記す事は控えるが、このように小説を読んで「心の中に意味もなくしっかり残っちゃった」事について、あれこれ考えたり話しあったりする事は、小説を読む最大の 醍醐味のひとつと言えよう。

 私たちは本書を通して、情熱的で優秀な読者の語りを擬似体験する事が可能であり、それこそが、本書の最も有効な読み方であると 言えるのかもしれない。

 

 柴田氏が巻末に書いているホールデン語による解説――"Call Me Holden"も、小説を読んだ後の素敵なオマケのようなものと言えそうだ。

 柴田氏は英文学者だけれど、もの書きとしてのセンスを持っていることがよくわかるし、だからこそここまで村上の熱い語りについていける、素晴らしい聴き手となることができるのだろう。

 

 本書を通して、物語(小説)を読む事の単純な――シンプルな楽しさ、よろこびを再認識し、また心に残った物語について語るという純粋な楽しみの素晴らしさを感じた。

 それはこの『キャッチャー』のように、ある作家が、自らの心を切り開いて精一杯書き上げた作品だからこそ、その極めてシンプルな要求に耐えうるのであり、

ホールデン・コールフィールド(中略)を主人公にしたきわめて刺激的な長編小説を書き上げたという事実そのものに対して、深く感謝すべ き」(p.218)

と私も思う。