読書百冊意自通ズ覚書

読んだあと、何かしらの余韻を残していく物語たちを、みんなどんな風に読んでいるのだろう?The note of reading one hundred books makes you understand more clearly.

ママ・グランデの葬儀

初のガルシア=マルケスの著作を、実際に図書館で借りるに至るには、丸谷の書評[1]の存在が大きい。丸谷はわりとラテン・アメリカ文学を、ガルシア=マルケス、バルガス=リョサボルヘス、等の作家の書評を書いている。それで、ガルシア=マルケスに限らず、ラテン・アメリカ文学を読んでみたい、と、もともと思っていたし、『百年の孤独』はノーベル文学賞作品でもあり、いつかは読もうと頭の片隅に入れてあった。

 図書館で見つけたこの国書刊行会のラテン・アメリカ文学叢書は『小犬たち/ボスたち』(バルガス=リョサ)、『エバリスト・ガブリエ ゴ』(J.L. ボルヘス)など16冊も刊行しているけれど、丸谷の書評『ウナギと山芋』[2]の中で「あ、丸谷が書評に書いていたな」と『ママ・グランデの葬儀』を見た瞬間、思い出した。

 作品はどれも読み易かった。

 読書家の世界では周知の事実なのだろうけれど、架空の村マコンドが舞台のお話で、でも始めはそうと気づかないでいた。

 後半になるにつれて、「バルタサルの素敵な午後」のドン・チェペ・モンティエルや、「モンティエルの未亡人」が同一家の人物であるということや、中盤から「ママ・グランデの葬儀」まで、アントニオ・イザベル 神父が登場していることに気がついた。

 最初は土地が一緒なのではなく、人物だけを「つなげて」短編同士をぼんやりつなげているだけなのかと思った。しかし 解説にマコンドが舞台、とあって、なるほどとふに 落ちると同時に、ただ人物だけをそっと気がつく「かもしれない」という程度でつなげていたのとは全く違う、同じ土地のいくつかの物語としてとらえることができた。

 この「マコンド」が舞台、ということはものすごく、何というか、この小説を――物語をまとめさせているし、ガルシア=マルケスの世界を端的な形で あらわしていると思う。[3]

  最後に。 投げかけたい疑問――それは「どうして火曜日なのだ、、、、、、、、、、」ということ、そして、「土曜日の次の日は日曜日だ、、、、」。

 

Original: "Los Funerales De La Mama Grande", 1982

 

『ママ・グランデの葬儀』

火曜日の昼寝 9
最近のある日 21
この村に泥棒はいない 29
バルタサルの素敵な午後 71
モンティエルの未亡人 87
土曜日の次の日 99
造花のバラ 131
ママ・グランデの葬儀 143

 

notes
[1] 
丸谷才一のこと。ここでは『遊び時間』というタイトルで2巻までエッセイや書評の収録された本のことを指している。
[2] 覚書『ウナギと山芋』

[3] 百年の孤独』を読めばマコンドについては自ずとわかることではあるが、未読と考えると妥当な感想か。