愛は苦悩とともに─パーフェクト・ファミリー
ペニー・ジョーダンという作家は、ハーレクイン小説の作家なので、多くの作品を読んでいるわりに覚書には登場していない。
しかし彼女の作品の中でも、大型の長編小説が何作品かあり、これが通常のハーレクインシリーズとは違い「文芸書」と名打たれているだけあって、とても読みごたえのある作品に仕上がっている。
その、年を追うごとに増えてゆく長篇は、ハーレクインという枠組みに収めて分類・識別してしまうのが勿体ないと思われる作品ばかりだったので、「次に彼女の文芸長篇を読んだら、必ず覚書しよう」と決めていた。そしてその「次の」作品がこのPerfect Family『愛は苦悩とともに』だったわけなのだが……。
愛は苦悩とともに (ハーレクインプレゼンツスペシャル―パーフェクト・ファミリー (PS7))
- 作者: ペニー・ジョーダン,霜月桂
- 出版社/メーカー: ハーレクイン
- 発売日: 2001/02
- メディア: 新書
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常々思っていた事だけれど、ぶっちゃけた話、このPerfect Familyのシリーズは彼女の長篇の中でも、最もつまらない部類に属していると思う。
前述で彼女の長篇をたいへん読みごたえがあって、ハーレクインに分類されて片付けられるには[1]惜しい!とほめたけれど、残念ながらこのPerfect Familyはそれにはあてはまらない。それはこのシリーズの前までの長篇小説、といえそうである。
Perfect Familyは比較的最近の長篇で、どうやらペニー自身はこのシリーズをいたく気に入っているようだ。
その証拠に、第1作目の"Perfect Family"の後、ハーレクイン・ロマンスシリーズで他の登場人物を主人公にした作品を4つも書いている。
正直、4部作のPerfect Family続編が出るたびに「またか……」と思わされた。面白くないから……。
そして久しぶりの長篇[2]と思いきや、第1作目の中でとてつもなく嫌な人間、最低の人物として描かれていた、救いようさえないのではないかと思われる男・マックスの物語――つまりここで取り上げている物語なのだった。
思うに、作者はこのパーフェクト・ファミリーの第1作目を書いたとき、人物関係図を細かく、複雑に、そして壮大に構築し過ぎたせいで、この物語に固執してしまうのではないだろうか。
こんなにちゃんとたくさんの登場人物設定をし、構築したんだから、脇役の物語だってまだまだ充分書けるはず、と思い、そして最初の物語を書くために作られた物語の背景にのみ込まれてしまったのだ、きっと。
この想像の真偽のほどはともかく、このシリーズは「設定の壮大さ」にストーリーテリングが負け、のみ込まれてしまっているといえるだろう。
しかし、ペニー・ジョーダンのそれまでの物語は、相当に素晴らしいものがある。
彼女の作品の感嘆すべきところは、人物の心理描写だ。長篇のあとがきで訳者がそれをほめており、なるほどと思わされた。
心理描写、というと、とても漠然としてしまうけれど、つまり「心の動き」の描き方が非常に巧みなのだ。実に自然に、そしてリアリティに富んだ、登場人物それぞれが抱く複雑な感情が、流れるように描き出されている。
例えば、主人公の心理について述べていたのが、 気がつくと相手側の心の声を描いている、そんな場面はザラにある。心理そのものの描写も巧みで、かつ流れによどみがない。こんなふうに描く作家を、私はまだ他に知らない。
加えて構成がしっかりしており、話の複雑さをものともしない。
全く別々の環境や状況にあるいくつかの登場人物を、物語が進むに従ってひとつの話としてまとめ上げていく、その「構成力」とでも呼べそうな能力たるや、本当に目をみはるほどである。
以前高河ゆん[3]が、スティーブン・キングのストーリーテリングをほめたたえて、その能力は先天的に備わっているものではなく、努力と訓練によって身につけられる能力であると述べているけれど、彼女の持つ能力というのも、これと同種ものではないだろうか。
二つ――あるいは三つの全く別の物語が、接近し、絡まりあい、やがてはひとつの物語として結末を迎える様は、まさに圧巻だ。
今回はそんな作者の、ストーリーテリング能力があだとなってしまったのかもしれない。
そんなわけで、この『愛は苦悩とともに』も、文章力、物語力、共に水準以上のものである。
だいぶケチをつけてしまったけれど、それは彼女の作品として考えるならであって、一般のレベルで考えてみれば、この作品もやはり水準以上の作品といえるだろう。
さらに、この作品を読む前に見たキャッチ・コピーが「最新作で描いた究極の悪」というものだったので、他ならぬペニーの作品ではあるし、「究極の悪」なんて心躍るような文句はついているしで、めちゃくちゃ期待していた。それがよくなかったのかもしれない。
ここに描かれる悪が「究極」であったかどうかは別として、「悪」ことマックスの描写は相変わらず素晴しく、よくここまで嫌な奴を描けるなァとため息をついてしまうほどの出来ばえである。
そういう意味でも、やはり作者の力量は健在なのだけれど……
どうしようもないだろう、いくらなんでもこれは、というエピソードの存在を見過ごせない。
そう、生死の境を彷徨った悪の化身・マックスが、神の存在する愛の世界を垣間見、この世に戻ってきてから、全くの善人に生まれ変わってしまうというエピソードである。
なんじゃそりゃ。
そのエピソードの書き方だって上手い。そしてそういう、素晴しい世界を知った時、人が如何に敬虔になれるか、という事もよくわかる。
でもさ。
でもそれで、この極悪非道の代表選手・改善の余地まるでなし!としてずっと描いてきたマックス・クライトンをさ。
そんなんで善人に仕立て上げるんかい。
それってすごく
安易
すぎないか――!? えぇ――??!!
と目が点に。文章は上手いのだが…この展開にいくらなんでもついてゆけず、そして感想は冒頭の文章に逆戻り……。
追記:それとも、ブラット・ピット主演映画“セブン”が、7つの大罪が全く骨身にしみていないせいでピンとこなかったように、キリスト教的信仰ベースがないからこのマックス・クライトンの劇的な変わりように納得いかないのだろうか?
さらなる追記:改めて本書をめくってみたのだけれど、マックスは外見的には申し分のない男だし、ここまでくると、性格の悪いマックスの方が人間味があったようにさえ思う。幻想だろうが。
Original: "The Perfect Sinner"
notes
[1] やはりハーレクインに対する偏見というものがあると思われる。
[2] 正確にいえばこの長篇の前にPerfect Familyではないプレゼンツ作品『愛の輪舞』が出版されている。
[3] 80年代後半~90年代前半に一斉を風靡したまんが家。ここで取り上げているのはエッセイ『サイクランド』より。
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