シャーロックホームズの事件簿
翻訳された外国小説を、最近以前にも増して読んでいる。そのせいか、文章の良し悪しというものが掴めるようになってきた気がする今日この頃。
しかしその、文章の良い・悪いというのが、
1. 翻訳者の力量による
2. 原作者の文章力による
のどちらなのかということはよくわからない[1]。1の場合もあるだろうし、(これは多そうだ)2の場合もあるだろうし、両方ということもあるだろう。
ただ、1というのは比較的わかりやすいと思われる。極端な事をいえば、同じ小説で翻訳者が違うものを比較してみればいいのだから。[2]
ただ、たくさん翻訳ものを読んでいると、原作の良し悪しはともかく、訳者の力量次第でどうにでもなる部分も多いな、と思うようになった。
この「シャーロック・ホームズ」のシリーズは、そういった観点ではとても明晰で読みやすい小説である。
読みやすく軽いので、さっと読み終えてしまいがちだけれど、ちょっと立ち止まって考えると、ずい分わかり易く、読み易く仕上がっているな、と改めて思わされる。この場合、考えるに上記1、2両方良いのだと思う。ドイル卿はなかなか文章が達者だったのだ。
短編は全体的にどれも面白く、あっという間に読んでしまった。
前にもホームズの覚書で書いたけれど[3]、以前行ったベーカー街のシャーロック・ホームズ館やその周辺を思い描きながら読むと、二倍に楽しめ、とても良い。
余談をひとつ。「ライオンのたてがみ」という題で名香智子[4]を思い出してしまった。名香智子もホームが好きだろうと思う。
Original: "The case-book of SHERLOCK HOLMES"
notes
[1] 覚書『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』のnotes[2]参照。ここでも同じ事を言っている。
[2] 両方どうしようもない翻訳だったらどうしようもないが……。
[3] これまでにシャーロック・ホームズシリーズを三作ほど覚書している。
[4] 私が唯一収集している少女漫画家。(Link参照)ここで彷佛しているのは『純愛はジゴロの愉しみ』収録「霧のライオン」(小学館/PFコミックス)