読書百冊意自通ズ覚書

読んだあと、何かしらの余韻を残していく物語たちを、みんなどんな風に読んでいるのだろう?The note of reading one hundred books makes you understand more clearly.

走れメロス

今まで読んだ太宰作品[1]は、どうやら晩年(後期)のものばかりだったようで、中期の作品が多いこの短編集で持っていたイメージがずい分と変わった。

 晩年の作品に比べて、一言で言うとやる気を感じる。頭で考えていることよりも、心象が描かれているとでもいうところだろうか。

 解説で奥野健男が「太宰は好きか嫌いかハッキリ二分される作家だ」と書いているけれど、こうしてみると時期によって印象もかなり変わるし、そうとも言い切れない気がした。

走れメロス (新潮文庫)

走れメロス (新潮文庫)

 


 また、太宰の自伝的小説が多々あり[2]、これまでの太宰のがよくわかった。

 今回初めて、太宰が井伏鱒二のことを師事していたと知ってびっくりした[3]

 自殺未遂したのも二回(二度目で死んだ)と思っていたのに、何度かしていたというし、ほかにも、へー、太宰っていちおうマトモに結婚していたのかぁ、とか、へー、太宰って青森(津軽)出身なんだぁ、とか、へー、太宰って東大中退したのかぁ、などなど、太宰情報満載だった。[4]

 とはいえ、ノンフィクションではないので、作品全てが事実ではないことも踏まえておかなければならないだろう。

 各作品について少し。

「ダス・ゲマイネ」

 登場人物の馬場のイメージが、大島弓子の『綿の国星』のマジシャン[5]になったせいで、終始、『綿の國星』のイメージで読んだ。そのせいで、馬場に妙な愛嬌を感じてしまった。

 かなり間違った読み方をしていると自覚するけれど、タイトル[6]にしても馬場のマジシャンにしても、どことなく大島弓子ワールドっぽく思えてしまう。大島弓子に漫画化してもらうと面白いのではないか。

「駆け込み訴え」

 初期段階で「イスカリオテのユダか」と判明してしまった。そのせいで、今度は川原泉の『笑う大天使[7]を思い出すはめに。お陰で全然シリアスに読めなかった。
 この作品の評価は一般的に高いようだが、途中からわかるならまだしも、こんなにアッサリユダだとわかるような書き方をされると、首を捻りたくなる。
 そういうことではなく、二律背反ともいうべき、己れの心の揺れに翻弄されるユダの心情の描写部分に評価の重きが置かれているというなら、そんなことは関係ないのかもしれない。しかし、アンビバレンツが上手に描かれているようにも見えるのだけれど、その割にユダが単なる思い込みアホ男に見えてしまうのは、自分の感性が砂漠化しているからだろうか。それとも、太宰はユダのホモっぽさを書きたかったのだろうか?苦しみの中でこそ生まれうる真のプラトニック?しかし……平岡君[8]じゃあるまいし、という気がしてしまう。

「女生徒」

 巻末の解説で奥野健男はこの作品を誉めていたが、個人的にはあまり好きではない。解説曰く、女にすら書けない微細な女性心理描写が、男の太宰をしてなぜにこんなに上手かろう?ということ。しかし、こんなモノローグ女いたら天誅!である。
 とはいえ、時代背景をなども考慮すると、当時の女性からしたらかなりブッ飛んだ内容だったのだろうと思われる。

富嶽百景」「東京百景」「帰去来」「故郷」

 先述のとおり、太宰の遍歴がよくわかる作品群である。

 

 これにて終了。

notes
[1] 
覚書当時読んでいたのは『走れメロス』『斜陽』『人間失格』だけだった。その後何作品か読んだ。
[2] 
富嶽百景」「東京百景」「帰去来」「故郷」

[3] びっくりはお前だ。
[4] 
あまりにも知らなさ過ぎる。
[5] 
少女マンガの大家・大島弓子の代表作。マジシャンは、実は中身がラフィエルだったというオッサン。普通に痩せ形のマジシャン姿を想像できれば、ほぼ間違いないかと。

綿の国星 漫画文庫 全4巻 完結セット (白泉社文庫)

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[6] ドイツ語らしい。解説・奥野健男
[7] 
川原泉著・白泉社刊の少女マンガ。聖ミカエル学園に通う3人の食えない少女たちが危ない橋を堂々と渡りきって行くお話。その中で「イスカリオテのユダ」と自らを卑下するセンスの悪い人身売買組織のイタリア人が登場する。

[8] 平岡公威氏。三島の本名。学生時代、うちわでは三島を本名で呼んでいた。