読書百冊意自通ズ覚書

読んだあと、何かしらの余韻を残していく物語たちを、みんなどんな風に読んでいるのだろう?The note of reading one hundred books makes you understand more clearly.

遊び時間2

2からいきなり読んでいるのは、友人が1を貸す前に「2」を貸してくれたからである。

 たぶん、あの人の部屋のどこかには「1」があるのだらうけれど、例によつて例の如く、 他の本に埋もれて発見するのは至難の業、という状態なのでせう。本人に言はれなくつたつてそれくらい解る。


 という具合で旧仮名遣いにも慣れ、なんとなく心地よくさえなってきた。

 丸谷の文章も秀逸である。文章の流れというがとても上手くて、すんなりいっていて、読み易くて面白い。論旨も明確で、運び方が上手いので、ちょっと小難しい題材や内容でもくっきりと頭の中に入ってくる。改めて、丸谷の文章の上手さに感嘆させられる。


 チャンドラーの事なんかも書いてあった。マーロウの名台詞、「…優しくなれなければ、生きている資格がない。[1]」が、そういえば昔そんなキャッチ・コピーがあったなァと思い出しつつ[2]、 丸谷が見い出したフレーズだったと知って驚いた。

 しかし、あの文章の中で丸谷がちょっと憤慨していたように感じたけれど、その気持ちって何だかわかる気がする。マーロウを好きで読んでいるとそう思うのではなかろうか。


 あのセリフの持つ意味というか、重さっていうのは、言葉の表面にだけ表われているんじゃないんだ、今までずっとマーロウという一人の探偵が、大都市L.A.で孤独に生きてきて、その彼の姿があの言葉の後ろの見えない部分に隠れて、佇んでいるんだ、マーロウ最後、、の、ストーリにあまリ関係のないエピソードが、いつもの作品にくらべてはるかに多い――初めて(と言っていい)マーロウ自身が、、、好意を示す女性[3]とのやりとり、物語の幕切れ――“謎を秘めた”ラスト・ストーリー[4]、それが『プレイバック』という作品であり、このマーロウの台詞に全て附随しているのだ、と。

 それにしても、丸谷はジェームス・ジョイスが専門だけあって、さすがに海外作品(殊に英国、そしてジョイス)に詳しいけれど、同時に日本の古典及び日本語についても非常に、驚くほど造詣が深い。
 自国の言葉(文化、文章etc…)を満足に扱えない人が、どうして外国(語、文化etc…)を理解するできよう?という理屈はよくわかるけれど、それにしても丸谷は詳しい。何なんだ、と思うほど。


 でもそういうことは、少し前の[5]文豪にはあたり前のことだったのかもしれない。

 自国の文章をふまえた上で、外国文学を学ぶのは当然のことだったのだ。 例えば林望[6]だって、河合隼雄だって(その他にも大勢[7])、どうしてどうして日本語、そして古典に詳しい。
 しかし、改めてその博学っぷりに驚いた本書ではあった。

 

notes
[1] 『プレイバック』Ch.25 (p232/ハヤカワ文庫1988年版)
[2] でも『プレイバック』を読んでいる時には全然気づかなかったぞ。
[3] リンダ・ローリング。
[4] この辺りは文庫版訳者・清水氏のあとがき「レイモンド・チャンドラーのこと」による。
[5] ここでは戦前~戦後の今より少しに生まれている作家を指している。
[6] この人は、『イギリスはおいしい』が著名だが、日本文学の専門家。
[7] アメリカ文学(特にS.フィッツジェラルド)に影響された村上春樹でさえも。

遊び時間 2 (中公文庫 ま 17-4)

遊び時間 2 (中公文庫 ま 17-4)